東京都世田谷区の小田急線上り快速急行電車内で、乗客の男女9人に刺されたり転倒したりするなどしてケガを負わせた事件の犯人、對馬悠介(つしまゆうすけ)容疑者。素直に殺意を認めて供述に応じるため新情報の報道が早い傾向にありますね。對馬悠介(つしまゆうすけ)容疑者の家族、母親と弟の名前、高校・大学・ナンパ師・生活保護の現在までの生い立ちをまとめました。
對馬悠介(つしまゆうすけ)の生い立ち「青森県から世田谷へ」
對馬悠介(つしまゆうすけ)容疑者は青森県森県五所川原市出身、幼少期に東京都世田谷区に転居しています。世田谷区に母方の実家があったといいます。
母の実家に戻った…と聞くと、両親が離婚した可能性なども推測できますが、一概には言えませんね。父親について、一切触れられていない様子からは離婚した可能性が強まり、そうなると、母子家庭で育ったことになります。ですが、単純に父親の転勤に合わせての転居だったかもしれませんし、母親が実家を継ぐことになったのかもしれません。色々な可能性が考えられます。
世田谷区は、東京23区内でもかなり広い区です。地域によって全く雰囲気は違い、住宅地ばかりかと思えば畑もある。繁華街もあるし、色々な顔がある区だと思います。都下並に安い地域もあれば、べらぼうに高い地域もありますね。どこに住んでいたかにもよりますが、都会に戻れる家があるという状況から、お家柄も良さそうに感じます。母方の実家があった世田谷区に移った對馬悠介(つしまゆうすけ)少年は、世田谷区内の小学校、中学校へ通いました。転園または転校にあたってのトラブルなどはなく過ごしていたようで、小学校ではサッカー部に所属し、すでにてムードメーカーの人気者だったと同級生が語っています。
中学生時代の同級生(女性)の証言によると、対馬悠介容疑者は女子から人気があったと語られていました。別の女性は「好きだった子も多かった」とも。
對馬悠介(つしまゆうすけ)容疑者の年齢は36歳と公表されています。生年月日は不明なため、1985年生まれとして学歴年表を起こしました。
公立中学 | 都立大付属高校(公立) | 中央大学地工学部(私立) | ||
---|---|---|---|---|
卒業 | 入学 | 卒業 | 4大入学 | 4大卒(仮) |
2001(平成 13)年 3月 |
2001(平成 13)年 4月 |
2004(平成 16)年 3月 |
2004(平成 16)年 4月 |
2008(平成 20)年 3月 |
世田谷区内の中学校を卒業後は「東京都立大学附属高等学校」へ進学しています。都立大付属高校の全盛期には、進学校で有名でした。現在の「東京都立大学附属高等学校」について調査を進めようとしたところ「東京都立大学附属高等学校」は2006年度に東京都立桜修館中等教育学校へ吸収されており、2010年度を最後に閉校になっていました
こちらが対馬悠介(つしまゆうすけ)容疑者の高校の卒業アルバムの写真です。校高校時代、対馬悠介(つしまゆうすけ)容疑者は「つっしー」と慕われていて、クラスの中心にいるような人物でした。そういえば、対馬悠介(つしまゆうすけ)容疑者のInstagramアカウントは「@tsushy」でしたね。
「東京都立大学附属高等学校」は制服がない私服校で、対馬悠介(つしまゆうすけ)容疑者は服装もおしゃれ、茶髪で長髪、人笑わせるキャラだったそうです。
高校時代から、街の女の子に声をかける女好きだったようですが、一人の女性に入れ込むようなことはなく、高校3年間に交際していた女性はいなかったとか。
「MARCH」とは俗称で「明治、青山学院、立教、中央、法政大学」の頭文字を取った大学群です。偏差値的にみると、MARCHは早慶上智の次に位置する大学群です。

対馬悠介容疑者が入学した当時の都立大付属高校の偏差値65以上ないと受験すら無理なレベル。あの辺りでは都立青山高の次くらいの名門でした。大抵はMARCHより上の難関大学に進学する傾向にあったそうです。
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対馬悠介(對馬ゆうすけ)の母親・弟の名前を調査
兄弟につていは、3歳下の弟がいることが文春オンラインの記事に書かれていました。
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対馬祐介(つしまゆうすけ)は中央大学理工学部中退
そんなテニサーに入り、積極的に声をかけるタイプだった陽キャな対馬悠介(つしまゆうすけ)青年。何もかも順調そうに見えますが、中央大学は卒業には至らずに中退をしています。

大学中退したところで時が止まっているんだろう
編入でもして卒業すれば得体の知れない呪縛から逃れられそうですが…
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対馬悠介容疑者は大学時代から女性に憎悪
対馬悠介(つしまゆうすけ)容疑者は、逮捕直後から女性を敵視する発言をしてきていましたが、8月7日にはより具体的なエピソードが報道されていました。
- 大学時代、サークル活動で知り合った女性に見下された
- 出会い系サイトで出会った女性とデートしても途中で断られた

俺はくそみたいな人生を送っているのに…
15年以上も前の大学生時代の出来事をここまで憎らしく語っているのですから、中央大学中退に至ったのも“女性に見下されたと感じた経験”がはじまりだったのかもしれません。しかし、当時付き合っていた人も居たり、20代後半にもFacebookでリア充感満載な写真を投稿しているのです。
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つしまゆうすけ容疑者は就職氷河期世代
氷河期世代とは、大学や高校卒業後の就職活動において、バブル崩壊の影響を大きく受けた1993年~2005年頃卒業の世代のことです。有効求人倍率が1.0%未満となる年もあり、厳しい状況が続いていました。
大卒でも就職できなかったことや、新卒以外の就職が厳しいという日本特有の事情によって、現在でも就業経験がない人や非正規雇用で働く人は多いです。働き盛りにも関わらず非正規雇用者が多いことから結婚や出産を諦めた人もおり、出生率低下の一因とも言われます。
引用元:マイナビニュース

こういうふうに瀬戸際で踏みとどまっている人、世の中に沢山居るんじゃないかな。どうしたら良かったんだろう…
自分も氷河期世代です。専門卒で10年以上フリーターで、30歳を越えてもフリーターだった。あの頃はたしかに社会を恨んでいたな。幸せそうな人を見るといたたまれない気持ちになっていた。フリーターであるという事実が30歳を越えて一層、劣等感として苦しめるんだよな。
氷河期世代の人間は、有名大卒にも関わらず派遣やバイト暮らしで工場や建築現場、運送屋で勤務なんてザラにいますよ。年下の高卒に偉そうにこき使われたりもするし、出稼ぎ外国人らとひとまとめで扱われたりもするから、プライドも引き裂かれるし、精神的にも追い詰めれでヤケになる奴も出てくるだろうな。

私も彼より少し年上で、ほぼ同世代のMARCH卒です。丁度、氷河期時代でした。
すんなりとは就職できず遠回りばかり、生きずらいと思うことが度々ありましたが、自分で選択して納得して歩んだ結果だと思っています。
個を生きる欧米社会とは違って、日本人にとっては、人間関係がモチベーションの重要な要因となるでしょう。「理解してくれている」「気にかけてくれている」と思うだけで、不満は和らぎ、気持ちはぐんぐん前向きになるものです。
対馬悠介(つしまゆうすけ)容疑者は、他者から気遣う声をかけてもらうこともなく「誰かが気にかけてくれている」と感じることができなかった。それが「正当に評価されていない」といった思いを募らせました。人がどれだけ我慢をしているかなんて、周りからは見えないし、伝わらない。怒りや不満を我慢した努力は、他者からは評価してもらえないのですから。
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つしまゆうすけの職業「ナンパ師」
事件発生から2日後、對馬悠介容疑者が「ナンパ師だった」という報道が出回っています。そもそも、女性を恨み、こんな事件を起こすような奴ではなかったとの意味で同級生は取材に答えていたようですが「ナンパ師だった過去」ばかりが独り歩きしつつありました。
高校の同級生による証言「ナンパ師」時代はもう少し前のことで、今から約15前の21歳あたりの話でした。アルバイト生活で職業「ナンパ師」と豪語してたそうですから、相当ナンパを楽しんでいたんでしょう。
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対馬悠介容疑者・最後は生活保護頼り
對馬容疑者は、中央大学を中退後はコンビニエンスストアやカラオケ店などでアルバイトをするなど、職を転々としています。
2020年6月からは派遣会社に登録して勤務していたようですが、人間関係が苦で派遣先との契約「打ち切り」または「更新せず」でした。対馬祐介容疑者は、当初、自称「派遣社員」と言っていました。
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対馬悠介(つしまゆうすけ)容疑者を知る人の声
報道では、対馬悠介(つしまゆうすけ)容疑者を知る近所の人や、大学時代の知人などへの取材内容も盛り込まれています。確認できたものから追記していきます。
「(高校時代)身なりに気をつかっていたし、服装も髪型もおしゃれで、容姿端麗なイケメンでした。冗談をいって人を笑わせるような明るい性格で、クラスの中心人物です。今回のような事件を起こすような人物ではなかったので、事件のことを聞いた時はただただ驚きました」

「小学校の同級生が言うには…10年以上前に地元界隈の友達が對馬悠介くんと急に連絡がとれなくなったようなんです。他の同級生は『対馬が暗くなった』とも話していました。みんな大学を卒業して就職し、社会人として働いていた頃になります。その辺りから音沙汰がなくなったと思いますし、対馬の人生が暗転した時期とかぶるのかな」

對馬悠介くんは高校時代、囲碁将棋クラブに在籍していました。囲碁将棋クラブに在籍してはいましたが、対馬くんは幽霊部員で、放課後は仲がいい友達数人とつるんでよく遊んでいました。對馬くんは歌が上手いんです。カラオケとかボーリングとか、ビリヤードが好きで、男同士みんなでワイワイ騒ぐのが好きでしたね。


「中学時代は女の子から人気があったと思います。暗いわけでもなくニコニコと穏やかで誰にでも優しい男の子でした」
「対馬悠介くんは中退後、人柄が変わったようだと人づてに聞いてはいましたが、まさかこんな事件で逮捕されてしまうとは驚きです」

民生委員「対馬悠介さんは普通の若者に見えましたね。良い印象も、かといって悪い印象もないです。問題を起こすような素振りも感じませんでした。あいさつを返すことはなかったんですが…ごみ出しのルールなどは守り、もめ事を起こすこともなかったので、凶悪な事件と全く結びつかないですね。事件の犯人だと聞いてびっくりしました」